祈りを企画する: テゼのスタイルついてのよくある誤解



日本の集いでは、それぞれの会場が持つ背景や事情により、独自に工夫した方法で行われていることが多くあります。

もともとテゼ共同体の歌は、それぞれの地域での司牧を助けるために分かち合われているものですから、それぞれの地域の事情に合うように、独自に工夫して用いることは悪いことではありません。

けれども、ある場所で行われている祈りをそのまま真似する形で別の場所へ受け継がれることが多く、必ずしもテゼとは関係ないことが、「テゼのスタイル」として広まっている場合があると思います。

今回は、多くの人が「テゼ」と思っているものの、実はそうではない慣習について、いくつか挙げてみようと思います。


楽器は沢山あった方がいいのか?

ほんの数十人ほどの集いなのに、フルートにリコーダー2本にクラリネット…。時にはトランペットやホルンまで…。極端な場合には、歌う人よりも楽器の人が多い場合があります。楽器はあればあるほどよいのでしょうか。

テゼで沢山の楽器が用いられるのは、大規模な集いのみです。「大規模」というのは、夏のピーク時に5千人~1万人の人々とともに祈る場合、数万人が集まるヨーロッパ大会などです。普段の礼拝は一番少ない冬の閑散期で300人ほど、通常は2~3千人ほどだと思いますが、ギター以外の楽器は用いられません。

たぶん日本で売られているCDが大人数で録音されたものばかりで、それらを参考にしているからかもしれません。集いを企画する際に、「テゼだからたくさんの楽器を入れなくては」と考えて、いろいろな人に声をかけて演奏者をかき集めることはないでしょうか。

全体的に日本の集いは楽器を入れすぎる傾向にあると思います。確かに、テゼの楽器譜にはいろいろな楽器のパートについてスコアが含まれていますが、これを全部演奏する必要はありません。

日本で行われているような数十名ほどの非常に小さな集いでは、ギター以外の楽器は必ずしも入れる必要はなく、逆に楽器を入れすぎることが、歌を妨げる結果となる場合が多いと思います。

楽器の音で、肝心の歌が聞こえないということはないでしょうか。楽器の演奏が拙いために祈りが妨げられるということはないでしょうか。

楽器の編成は、つねに全体の人数に応じて調整する必要があります。楽器は、あくまで会衆の歌をサポートするものです。ギター以外の楽器は、せいぜい2つくらいあれば充分だと思います。また、誰でもいいわけではなく、祈りを妨げないためには一定の演奏技術が必要です。


「アレルヤ唱」は必ず歌わなくてはいけないのか?

カトリック教会では、福音書の朗読の前にアレルヤ唱が歌われます。

日本の集いでも、慣習的に朗読の前にアレルヤ唱が歌われることが多く、アレルヤ唱は必ず歌わねばならない思っている方が多いようです。

福音書朗読の前にアレルヤ唱を歌うのは、日本の黙想と祈りの集い独自の風習で、 フランスのテゼ共同体や他の国の集いではアレルヤ唱はありません。


朗読は必ず福音書からとらなくてはいけないのか?

朗読は福音書に限る必要はありません。新約聖書の別の箇所でも構いません。


祝福/祝祷は入れた方がよいのか?

祈りの最後に聖職者による祝福や祝祷が捧げられる場合があります。 これも日本の黙想と祈りの集い独自の習慣です。

フランスのテゼには、司祭や牧師の資格を持つブラザーは複数いますが、ブラザーや院長が前に立って会衆一同に祝福を与える習慣はありません。必ず入れなければいけないものではありません。


主の祈りは必ず歌わなければいけないのか?

祈りの中で必ず入るものは、詩編、聖書朗読、沈黙だけです。テゼでは、「主の祈り」は朝の祈りでしか歌われません。また、これは唱えてもいいですし、省くこともできます。


共同祈願は必ずいれなければいけないのか?

祈りの中で必ず入るものは、詩編、聖書朗読、沈黙だけです。テゼでは、時間の長い夕の祈りのみに「共同祈願」が入ります。


ハンド・イン・ハンドはテゼか?

「テゼのハンド・イン・ハンドな雰囲気が苦手で……」と聞いて驚いたことがあります。祈りの中で握手をしたり、手をつないだりすることは、テゼ共同体では一切行われません。

確かに日本の一部の集いで「主の祈り」の際に、隣の人と手をつなぐということが行われていたことを見かけたことがありますが、それもかなり昔の話です。今ではほとんど行われていないと思います。

(集いを企画する人は、柔軟に工夫することも大切ですが、こういうことに抵抗がある人もいるということを念頭に置いておく必要があると思います。)


ご聖体の顕示は必要か?

ご聖体の顕示は、一部の集いで行われていますが、会場のカトリック教会や修道会の司牧的な理由で行われているもので、わたしは日本でしか見たことがありません。会場のニーズに合わせて柔軟に考えたらよいと思いますが、少なくともテゼの習慣ではありません。